AY's blog

思ったことをだらだら書いている。読んだら感想とか教えてくれたら嬉しい。

ある男

‪大学2年の頃、よく飲みに行く男がいた。

悲しげな目をした背の低い男で、紺やグレーを好んで着ていた。色白で清潔感があり、物を触る手つきの柔らかい人だった。たまに吸うhi-liteも優しく持つので、よく落としていた。日差しよりも木漏れ日が似合うような人で、ゆうがたは彼のためにあるような気さえした。

 

彼はわたしのビール嫌いを克服させてくれ、わたしは彼のワイン嫌いをそうした。

1pintが思ったより多いことや黒ビールが納豆みたいな後味のすること、多くの人は赤より白の方が飲みやすいということが分かった。

ワインで酔っ払った彼は大概にして楽しそうで、好きでもない女と手を繋いで真夜中の横浜を歩き、普段からは考え付かないほどの饒舌で世の中についてを語った。彼といると、蒸し暑い夜には心地よい風が、凍える夜には風が止んで左手に伝わる体温が、いままでよりも繊細にわたしのもとに届くようだった。

 

会うたびに数冊、本の貸し借りをした。

‬‪わたしは彼の海外文学嫌いを克服させ、彼はわたしの女性作家嫌いをそうしてくれた。

彼は一冊ごとに興味のある本を探すわたしと違って作家にのめり込み買い揃えてしまうタイプで、村上春樹江國香織綿矢りさ、そして谷崎潤一郎の本をほとんど買い揃えていた。

日常的で写実的な描写を好み、長編小説は途中で我にかえってしまう、と言って短編集をよく読んでいた。少しだけ独特で洗練された文体がお気に入りで、それに対して短いセンテンスで感想を述べるスマートな読書家だった。

 

お互い将来の夢なんてものは無くて、むしろ未来に絶望していて、学校にも就職にも、日本にも世界にも、そして何よりも自分自身に、希望など持てずにいた。

小説という空想の世界の中で、酒が魅せる甘美な虚構の中で、厭世的な態度で、互いの中にある自身の弱さを甘やかしていた。

フロイトのいう投影とも少し違う防衛機制をお互いに働かせて、わたしは好きでもないタバコを吸ったし、彼は毎回、好きでもない土地まで送ってくれた。

 

 

2年と3年の間にある春休み、彼はしきりにあるゼミの話をしていた。経営史と産業史を学ぶそこではディベートに力を入れており、優秀な人が集まっていて、就活にも有利なんだと目を輝かせていた。

ゼミなんて入る気も無くまして就活なんて考えたことすら無かったわたしは、別人のように活動的な彼を劣等感から茶化すことしかできず、彼がある程度難しいと言われる面接をクリアして入ゼミが決まったときも、素直におめでとうとは言えなかった。

なんで急に大人になってしまったのかが分からなかったし、まだまだこどもでいたかった。

そんなわがままを聞いてくれる人はたくさんいるけれども、

"相手の同じようなわがままを同時にわたしが聞いてあげられる"

という存在は彼以外に考えられないのだった。

 

3年になり彼はほとんど毎日をゼミに費やすようになった。飲みの誘いも飲みに誘っても来なくなり、借りた本を返すチャンスさえ無かった。

春に貸した本は夏になっても読んでいないようで、

わたしは江國香織を読まなくなった。

 

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この話はここで終わる。是も非も無い。

彼とはたまに連絡を取るし、多分しつこく誘えば飲みに行ける。彼は彼でおそらく本をまだ読んでいるし、わたしだってそうだ。

それでも、彼がモラトリアムから大人に成長するとき、わたしはそれを哀しいと思った。

その現実がわたしから、わたしと彼とをもう一度対等に交流させる選択肢を奪った。

 

就活も佳境だ。

彼に置いていかれたわたしは、どうやって大人になるのかが

いまだに分からない。