さて。
今日は、母校(高校)の卒業式の日で、わたしは大学生になってからも部活の学生コーチとして母校に携わっていたから、まぁ、それなりに感慨深さがある。
今日卒業するひとたちって、高校3年生っていう人生でいちばん楽しいかもしれない1年間を、もう、名前を出すのも億劫な、ヴォルデモートよりも不吉なアレに振り回されまくってて、
最後の文化祭も、運動会も、卒業旅行も無くなってしまって
もちろん、部活に邁進していたひとは最後の演奏会とか発表会とか大会とかが全て無くなってしまって
でもなにより、
食堂で友だちの膝の上に乗って2時間目の政経の先生の言い間違いをお昼になっても笑ってたりとか
ポッキーの日に学校近くのコンビニのポッキー(足りなくなって、プリッツも)を買い占めてふざけてポッキーゲームしたりとか
親友と2人でおんなじブランケットにくるまって教室の床にふざけて寝そべったりとか、そういう日常も奪われてしまって
そういうのを当たり前に、ありがたがりもせず享受していたわたしたち大学生とか大人から見たら、
まぁきっと彼女たちはすごく、
「かわいそう」
な年代なんだろう。
事実、少なくともわたしの観測範囲内の高校生たちは、やっぱりすごく悲しんだり苦しんだりしていて、バランスを崩してしまいそうになっていて、そういう部分には絶対に周りが寄り添うべきだし、わたしも寄り添いたい、これからも。もし、必要とされるのであれば。
でも同時に、彼女たちは、2020年をちゃんと生きたよね。
運動会も文化祭も無いけど実行委員は確かに存在して、そこで生まれた友情もあったと思う。
卒業旅行は出来なかったけどzoomで朝まで語り合ったと思う。
部活の大会も発表会も無いけど、チームメイトとたくさんミーティングをしたと思う。お互い励まし合うなかで新しく生まれた絆もあったと思う。
ふざけて手を繋いだり腕を組んだりは出来ないけど、その代わりに目と目を合わせた素敵なコミュニケーションを取ったと思う。
同じ方向を向いて食べるご飯は、普段は照れ臭くて言えない感謝のことばを引き出したりしたと思う。
高校生が必死に、もしくは自然に、あるいは喜んで作り上げた2020年、「高校3年生」という貴重な青春を、わたしは「かわいそう」だと思いたくないし、思わない。
失った時間と同じくらい尊い時間を過ごした彼女たちは、全然輝いてて、全然かっこよくて、高校生っていいなぁと、社会人間近のわたしにも諦め悪く思わせてくれていた。
だから、おめでとう。卒業おめでとう。
高校3年間、最高だったでしょう?
いろんな大人に心配されて、不憫だと言われて、自分たちって「かわいそう」なのかなぁと自信を無くさないで。
みんなはかわいそうじゃないよ。
全くかわいそうなんかじゃない。
胸を張って、楽しかったって言い切っていいんだよ。
この経験をバネに、とか、この苦しい1年間を糧に、とか、そういうことは、あとから考えるのでいいんだよ。
この1年間こそが輝いていて、美しいんだと
そう思って笑顔で卒業できることを願ってやみません。
最後にもう一度、
今日卒業する皆さま、本当に、心から、おめでとうございます。