高校1年が終わった春休み、怪我の手術のために二週間ほど入院した。
何ヶ月もかけて何件も色んな病院を回り、そのたびに診断結果が違い、やっと辿り着いた気難しいオジサン名医はMRI検査の画像を見るなり
「はい。切れてます。もうこんな靭帯だったらバスケ辞めちゃえよ。スポーツやんないなら手術要らないから。強豪校でもないんだし、辞めちまえ。」
とか言ってきて、わたしはそれが悔しくて悔しくて、病室で半ギレで
「………続けます、手術したいです、お願いします」
って振り絞るように言った。握り締めた手のひらには爪が食い込んで跡になってたし、鼻のあたりがジーンって熱くなったと思ったらポタポタ涙が溢れて止まらなかった。知らない大人に人生でいちばんキレた。
あとから聞いたらあれは覚悟を試してたらしい。そんな昭和の体育会系みたいなこと、病院の先生がしないでほしい。
簡単な手術だったが、それでも身体にメスを入れるので術後はすごく患部が痛み、痛み止めの点滴も効かず吐いてしまったし一睡もできなかった。
上記の痛みに加え足を固定された車椅子生活で身体の自由が全くきかないのに翌日に生理になって本当に最悪な気分だった。シーツを汚してしまって拭いて、トイレも汚してしまって片付けて、でも点滴もまだ繋がってて膝にはチューブも付いてるからすっごく時間がかかって、こんな自分が惨めでならなかった。
通っていた高校では2年に上がる際にクラス替えがあるので新しいクラスに馴染めなかったらどうしようって思ったし、部活では新入生が入ってくるのに顔も見られないし、勉強も進んでるだろうし、色んな友人が来てくれて本当に嬉しかった反面顔を見るたびにどんどん焦燥感が募った。
術後数日経つとリハビリが始まる。病院内にあるリハビリテーション室で決められた時間に筋トレをしたり、電気を流したりするんだけど、スポーツ整形外科が有名な病院だから結構スキーやってる人とか、大学スポーツをやってる人とか、そういうアスリートたちが集まってひたすら自分と向き合っていた。
そこでわたしはある女性と仲良くなった。彼女は当時大学生で、同じバスケをやっていて、高校では全国優勝したことがあり、それなりにバスケに詳しい人なら名前を言えば分かるかな。
わたしと同じ怪我をしていた。右膝を怪我して、手術してリハビリして復帰して、その日の練習で左膝を怪我したって言ってた。
最初はそのリハビリ室で一緒になったときに話す程度だったのが、すぐに仲良くなりお互いの病室を行き来するようになった。彼女はわたしにスポーツ映画のDVDとか、自分の高校時代の全国大会の動画とかを見せてくれて、バスケの勉強いっぱいしなね。今がチャンスだからね。って励ましてくれた。(スポーツ映画以外もたくさん貸してくれた。悪の教典とか観て夜トイレに行けなかった)
消灯時間になったら部屋に戻り、暗い病室で深夜までLINEした。
辛くて苦しくて惨めだし焦燥感やばいけど、なんとなく学校の友だちには頼れないなぁと思っていたときに、同じ怪我をして気持ちを理解してくれる優しいお姉さんが現れたからわたしはすごく嬉しくて、弟子みたいな感じで、お互い面会がないときはずっと一緒に過ごすようになった。各ベッドに配られるご飯も彼女の部屋に持っていって食べてたら、看護師さんにめちゃくちゃ怒られた。
2人で本当にいろんな話をした。彼女の今までのバスケ人生はわたしと違ってエリートコースだったけど、大学で怪我が重なって思うようにいかず不甲斐ない。元チームメイトたちが高校卒業してプロに入り活躍をしているのに、自分がこんな場所にいるのがもどかしいと言っていた。わたしは歳上の人を、自分より人生経験が豊富な人を励ます術なんて知らず、ただただ話を聞き、それでもあなたはすごいと言い、わたしはあなたを尊敬してますと素直に言い続けた。わたしもたくさんの相談をしたけど、きっとどれもくだらなかった。殆ど覚えてないから。
退院が近づき、お互い心の傷も膝の傷もかなり良くなってきていたとき、傷口に貼られている絆創膏を内緒で剥がして、手術痕を見てみようということになった。
病室棟にも簡易的なリハビリ室があって、簡単な器具があるだけで誰もいないことが多く、消灯直前にその部屋に集まった。
はじめにわたしが彼女の絆創膏に手をかけた。少し剥がすと「いた…」と呟き顔を歪めて、わたしが謝って手を離すと「大丈夫。傷じゃないよ」と言った。ゆっくり時間をかけて剥がし、だんだんと傷があらわになる。華奢で白いひざのお皿のすぐ下にまっすぐな横線が引かれ、均等にギザギザと縦に線が入っていた。
綺麗だと思った。
いたずらしないから触っていいですかと聞くと頷いたので、本当に優しくなぞった。少し熱を帯びていて、ギザギザは硬かった。
次に彼女がわたしの絆創膏を剥がした。確かにずっと貼られていたから、普通よりも剥がされる痛みが肌をびりつかせる。わたしの傷は彼女のよりいびつで、真ん中に向けて少し斜めに線が入っていたし、まわりもなんだか腫れていて不格好だった。彼女はなにも言わずに触れてきたけど、嫌ではなかった。触れながら、
「ぜんぜん違うね、不思議だね」
と言い、そして、すごく自然な流れで、当たり前かのように、まえに何回もしたことがあるかのように、そうすることが決まっていたかのように、キスをした。
彼女はしばらくわたしの目と傷を交互にみて、おやすみと言い病室へと戻っていった。その夜は、LINEをしなかった。
その後退院まで何度か顔を合わせたがその瞬間の話が出ることはなく、退院してから連絡を取ったり、たまにご飯に連れていってもらったときも同様だった。
彼女はたぶんわたしに恋愛感情を抱いていたわけではなくて、わたしも慕ってこそいたもののおそらく恋ではなかった。
そして、そうだとしたら。
あの10分にも満たないやりとりの美しさといびつさにお互いの心がリンクして、恋とか愛とかそんなものは一切関係なく、ただその瞬間が生まれたのなら、
なんて素敵なことなんだろうと思う。
今はもう、連絡先すら知らない。