AY's blog

思ったことをだらだら書いている。読んだら感想とか教えてくれたら嬉しい。

おきなわのよる

 

恋人でも友人でもない人間と沖縄に二泊三日の旅行に行ったとき

快晴の海で遊び倒した熱い肌で地元の居酒屋に行き、海ぶどうをたくさんと古酒をたくさんお腹に入れ(ちなみに古酒モチベを高めるために、東京でアニメ版美味しんぼ沖縄編を視聴してから飛行機に乗った)、地元のシーシャ屋に行った。

 

強気なネオンに彩られたそのお店に若干の勇気を持って入ると優しそうな中年女性がカウンターに座っていて、わたしはこの人の作るシーシャは多分そんなに美味しくないだろうなってかなり失礼なことを思った。

テーブル席に案内され、ビール2つとおすすめのシーシャを頼んだところ、シーシャを作れる従業員が辞めてしまってシーシャは出せないという。

シーシャ屋なのにシーシャが出せないその状況で営業し続ける彼女の肝っ玉に感動したが、まぁ少し残念がっていると、自分で作れるのなら勝手に作っていいとはちゃめちゃなことを言い出したのでかなり笑った。

わたしの連れはかなりシーシャに凝っている人間だったので、その時ふたりしてハマっていたフレーバーでシーシャを作っていると次々とお客さんがやって来た。

 

気が付くとわたしの連れは沖縄のシーシャ屋で店員のようにせかせかはたらいて何台もシーシャを作っていて、わたしは動き回る彼が履く蛍光イエローの靴の残像に沖縄の夜中をみていた。

 

しばらくすると向かいのテーブル席に4人組が座って、彼らは決して嫌な感じではなく、気持ちよく酔っ払っていて、決して嫌な感じではなく、心地よく話しかけてきた。

聞けば彼らは近くのパチンコ屋さんで働く上司と部下で、部下のひとりはわたしと同い年だった。四年制の大学に通うわたしにとって、同じ年に生まれたのに社会に出てはたらく彼は大きく見えた。

ニキビが悩みだって上司に話してて、上司は全然気にならないよかっこいいよって言ってたけどそれは違うなって思った。気にならないっていうのはニキビに目を瞑ってかっこいいのであって。わたしは彼のニキビも含めて素敵だなって思った。絶対言わないけど。

 

いろんな話をした。わたしは大学ってどんなところかとか、東京がどんなに、面白くもつまらなくもない街かどうかとか、愛する人に裏切られた経験とか、そういうことを話した。

彼は、パチンコ屋さんでどういうお仕事をしているかとか、沖縄がどんなに楽しくて素晴らしいところかとか、愛する人を見つけてみたい願望とか、そういうことを話してた。

 

そのお店にはカラオケも付いていて、酔いも回ってきたし連れが永遠に店員しぐさをしていてずっとひとりぼっちなのを見兼ねた彼はわたしに一緒に歌おうと言ってくれた。

他にお客さんもいたからみんなが知ってるような曲にしようと言ったら島人ぬ宝になって、マジで全然歌えなかった。間奏部分をいちばん知ってるわ、なんなら。

そのあと東京の人にはこういうのがいいかな、って言ってスキマスイッチの奏を入れてくれた。

酔っ払って一緒に歌うにはしんみりし過ぎていて、長くて途中で飽きちゃったけど、こんな悲しい曲を楽しそうに歌う彼の表情を見てバカだなぁって楽しかった。

 

連れが戻ってきて、なんとなく挨拶もなくお互いの卓に戻った。

時刻は2時を過ぎていて、明日も海に入るからそろそろ帰ろうと腰を上げた。

パチンコ屋さんで働く彼はわたしの連れをわたしの彼氏だと思っていて、お幸せに、とか、そういうことをつぶやいた。わたしは、付き合ってないよ。この人、最高な友だち。って言ってみた。そしたら彼は、君の連絡先が知りたいけど、今、この瞬間の思い出にした方がずっと好きかも。って言うから、わたしも、そうだねって言った。

それで、普通にバイバイして、ホテルに帰って寝た。

 

 

彼のことは、翌日スキューバダイビングしてるときとか、飛行機乗ってるときとかは本当に忘れてた。

東京に着いて連れから旅行中のいろんな写真や動画が送られてきて、楽しそうにふたりで歌う動画もあったけど、保存しなかった。

なんていうパチンコ屋さんだったかとか、彼が、どういう顔をしてたのかも、正直覚えてない。

 

それでも、彼のおでことあごにできたニキビと、彼が語る沖縄と、高すぎる、まだ見ぬ恋人の理想はいまでも思い出す。

 

げんき?もう、覚えてないかなぁ。

こういう季節って

タバコの匂いで過去になった人を思い出すなんて、きわめてくだらなくて不健康で使い古されていて幼稚だけど、

それでも、春と夏の間の涼しい夜中にその日の失敗を思い返しながら苦い顔で金マルを吸うときには、ぼんやりと彼の喉仏とか手の骨とかだっさい七分丈のズボンとかを思い出す。

 

わたしが一晩だけ溶けてしまうような時間を過ごした人の話をしたら、数日後に彼もその人と武蔵小杉のホテルのベッドで朝を迎えたり、

愛なんて友情なんてそういうの全てくだらないそんなものは存在しないと言った割にはホッピーを飲みながら孤独をつまみに涙を流したり、

誰も来ない教員用の大学の喫煙所から見える夕陽だけが好きだと言ってみたり、

そういう人だった。

 

バスケが得意で、高校でそれなりの成績を残したのに、自分にセンスがあるから続けてただけでバスケなんて大嫌いだと言っていたり、

めちゃくちゃにタバコを吸うくせに母親が家事をせず家の換気扇のそばでずっと吸い続けることに恒常的に傷ついていたり、

俺らで一旦付き合ってみる?という最悪な告白をしたわりにそのあと音信不通になったり、

そういう人だった。

 

夏のタバコは、わたしが彼と過ごした時間がいかに馬鹿げていてイキっていてなにも残らないものだったのかを思い出させる。

それでもその期間に感じてたとるに足らない感情は、もはやシルエットしか思い出せない彼の存在を、確かたらしめる。

 

元気かなあ。

もうぜんっぜん会いたくないね。

ねね、元気?

チープな感性

2021年、思い立ったときに人からお題をもらって短歌を作っていて、まあ、なんというかかなり見ていて恥ずかしくなるようなできばえなんですが、こういうのは公衆の面前に晒して、それで上達していくというものでありまして、とにかく、始めてから3ヶ月間の駄作たちをここに供養しようという、そういうブログです、今日は。

 

【元旦】

人類滅亡の直前目が覚めて今日はセーフと安堵する朝

 


【朝】

仮に明けない夜は無かったとしてもその朝はきっと希望なのか?

 


【道】

「止まれ」って言われなくても止まってんじゃん進み方知らないんだから

 


【月】

言い古された愛の告白さえ胸に響くほど月が綺麗だ

 


【zoom】

君の目を見ず目を合わせなきゃいけない。

画面の君もうつむいている

 


【帰り道】

明日天気になぁれと蹴りだす靴はいつだって横か下しか向かない

 


右側のクリーニング屋が逆にある

左に居た猫はもういない

 


【ラジオ】

ねぇどうせ聞きたい話だけ聞くなら

周波ズレたらマジ騒ぐから

 


【洗濯物】

君のモコモコパーカーは乾かない

湿ったままの17時、月が白い

 


【喫茶店

お砂糖とミルクはおつけいたしますか?曖昧になる世界の境界

 


【海】

浮き輪を膨らましてくれた金髪も

マフラーして白い息を吐く

 


【陽射し】

目を逸らし眉を顰めて享受する

差し込む陽と愛している人

 

 

 

…精進しまーす

卒業

さて。

今日は、母校(高校)の卒業式の日で、わたしは大学生になってからも部活の学生コーチとして母校に携わっていたから、まぁ、それなりに感慨深さがある。

今日卒業するひとたちって、高校3年生っていう人生でいちばん楽しいかもしれない1年間を、もう、名前を出すのも億劫な、ヴォルデモートよりも不吉なアレに振り回されまくってて、

最後の文化祭も、運動会も、卒業旅行も無くなってしまって

もちろん、部活に邁進していたひとは最後の演奏会とか発表会とか大会とかが全て無くなってしまって

でもなにより、

食堂で友だちの膝の上に乗って2時間目の政経の先生の言い間違いをお昼になっても笑ってたりとか

ポッキーの日に学校近くのコンビニのポッキー(足りなくなって、プリッツも)を買い占めてふざけてポッキーゲームしたりとか

親友と2人でおんなじブランケットにくるまって教室の床にふざけて寝そべったりとか、そういう日常も奪われてしまって

そういうのを当たり前に、ありがたがりもせず享受していたわたしたち大学生とか大人から見たら、

まぁきっと彼女たちはすごく、

「かわいそう」

な年代なんだろう。

事実、少なくともわたしの観測範囲内の高校生たちは、やっぱりすごく悲しんだり苦しんだりしていて、バランスを崩してしまいそうになっていて、そういう部分には絶対に周りが寄り添うべきだし、わたしも寄り添いたい、これからも。もし、必要とされるのであれば。

 

 

でも同時に、彼女たちは、2020年をちゃんと生きたよね。

運動会も文化祭も無いけど実行委員は確かに存在して、そこで生まれた友情もあったと思う。

卒業旅行は出来なかったけどzoomで朝まで語り合ったと思う。

部活の大会も発表会も無いけど、チームメイトとたくさんミーティングをしたと思う。お互い励まし合うなかで新しく生まれた絆もあったと思う。

ふざけて手を繋いだり腕を組んだりは出来ないけど、その代わりに目と目を合わせた素敵なコミュニケーションを取ったと思う。

同じ方向を向いて食べるご飯は、普段は照れ臭くて言えない感謝のことばを引き出したりしたと思う。

 

高校生が必死に、もしくは自然に、あるいは喜んで作り上げた2020年、「高校3年生」という貴重な青春を、わたしは「かわいそう」だと思いたくないし、思わない。

失った時間と同じくらい尊い時間を過ごした彼女たちは、全然輝いてて、全然かっこよくて、高校生っていいなぁと、社会人間近のわたしにも諦め悪く思わせてくれていた。

 

だから、おめでとう。卒業おめでとう。

高校3年間、最高だったでしょう?

いろんな大人に心配されて、不憫だと言われて、自分たちって「かわいそう」なのかなぁと自信を無くさないで。

みんなはかわいそうじゃないよ。

全くかわいそうなんかじゃない。

胸を張って、楽しかったって言い切っていいんだよ。

この経験をバネに、とか、この苦しい1年間を糧に、とか、そういうことは、あとから考えるのでいいんだよ。

この1年間こそが輝いていて、美しいんだと

そう思って笑顔で卒業できることを願ってやみません。

 

最後にもう一度、

今日卒業する皆さま、本当に、心から、おめでとうございます。

まっさらと静寂

分かってくれる人がいるか分からないけど、わたしなりの希死念慮について書くね。

別に暗い話じゃぜんぜんないんだけど、一応センシティブなワードが入ってるから、いま苦しい人は見ないでおいて☺️

 

 

 

わたし、自分とか、物事に対する評価が常に自分の中にすごくたくさん混在してて、そのすべて同士が頭と心で常に大喧嘩してる感じがあるのね。

 


例えば、

なんか自分が弱音を吐いちゃったとき。

・こんなことで人に弱み見せちゃってなんてダメな人間なんだろう

・恥ずかしい恥ずかしい

・弱音ちゃんとアウトプットできて偉い

みたいな感情が相反しながら同居する。

 


弱音に対して慰めてもらったとき。

・ありがとう

・この人に見下されたに違いない

・自分はなんの役にも立ててないのに申し訳ないなぁ

・元気出た

・こんなことで元気出るくらいちっぽけな悩みだったのか、自分って弱いなぁ

 


そういう苦しいことだけじゃなくて、例えば何か曲を聴いて、あ、いいかも。と思ったときも、

・いいかも。

・自分はこの歌詞に共感してるのか?共感するほど人生経験ないのに、偉そうだなぁ

・この曲、わたしの苦手なあの人も好きだったらどうしよう。念のため、好きって思うのやめとくか

 


これ、多分みんなもさ、なにかが起こった時に、色々逡巡することはあると思うんだけど、上手く言えないんだけど、同時にこれらを考えてる感じなんだよね。

○○かな、でもやっぱり△△かな、いや××かな、って感じじゃなくて、○△×が同時に頭の中でワー!って叫んでる感じ笑

いや、これもみんなもなのかな?これ疲れるよねぇ。

(追記:みんなそうみたい。がんばろ)

 

 

 

で、これがぶつかりまくって本当にしんどいフェーズを超えると、嵐のあとみたいな感じで、凪みたいな、ぶつかり終わって「無」の状態が訪れるの。

投げやりとかやけくそじゃなく、心の底から、もうほんっっとになんでもいいです!どうでもいいです!まっさらです!っていう気持ちになるのね。そうそう、まっさらっていうのが近いかも。

まっさらとか、静寂とか、そういう感じ。

真っ白で静かな部屋に1人でいて、感情とか肉体とかそういうものが取っ払われてる感じ。

それで、その拍子にヒョイっと、死んでしまいそうになる。本当に軽く、しかし、本当に確実に。

なんかね、死にたいとかじゃないんだよね本当に。まじで死にたくないから。痛そうだし死後の世界なかったら怖いし、この世に大好きな人がいるから。

でも、まっさらな、すごくリセットした気持ちになって、そのまま、プツリと、自然に、電源オフにしてしまいそうになる。

我に返って、

っっぶねー!!!みたいな笑

そんな感じ。

これがわたしの希死念慮。ん、なんかアナザースカイみたいになっちゃったけど。

 


ま、頑張ってこうなぁ。

愛に関する所感

※本日このブログ内で頻繁に登場する「愛」ということばですが、「恋愛」という意味ではありません。しかし慈恵や尊敬などそういった感情も含まれるかはちょっときわどいです。というかなり微妙な定義づけで進めますのでよろしくお願いしますね。

 

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「愛とはなにか」

「LOVEとLIKEの違いとは」

っていう馬鹿みたいな議題あるじゃない。愛について語るの、好きだよね〜みんな。

わたしも大好き。知らねーくせに。

それで終電逃してコンビニで線香花火とチューハイ買って「エモい」とか言うタイプの大学生だった時期もあった。

 

それでね、結構前にインスタのストーリーで、

"「愛」、過大評価されすぎ問題"

っていうのを提起したの。

内容は端的に言うと、

「愛ってなんでこんなに最強のものみたいになってんの?誰かを好きがそんなに偉いか?」

みたいな感じ。

で、その時に寄せられた意見がけっこう面白かったから、ブログとして残させて欲しい。

オチとか無いけど見ていって〜。

 

 

① "愛情は絶対的に感情界のトップに君臨するものではなく、瞬間的にそれを超えるものはこの世の中に幾つも存在すると思います。

でも愛は良くも悪くも具現化されてるものが世に溢れかえっているからこそ、それが「愛情」だということを認識しやすいから、その感情は保証されるし永劫的にあってほしいと思うものなのかなと。

そういう意味で「推し感情」もまた「愛情」だと思うし、悲しいとか寂しいとかいうマイナス感情を補いたい時には「河原に寝そべった時のあの感情」や「雨の日のワンシーンに得た感情」といった瞬間的に起きたものより「これでないといけない」といった確信に近い愛を求める人が多いと思う。"

 

これはね、結構なるほどなと思った。愛には持続性があるっていう。

感情というよりも状態としての愛、だからずっと続いていくし、表現に溢れた現代社会ではそれがある程度容易であることも「愛」が評価されている理由だ、という意見。それな。

あと、めちゃくちゃ逆説的なのよね。
素晴らしい感情だから「愛」が過大評価されてるんじゃなくて、「愛」が特別なものとして捉えられているからこそ、「素晴らしい感情」としての意味合いを持つっていう。これ面白いよね。

で、これに対する追加意見もあって、

 

② "誰かに対しての感情を愛として認識して保証するというよりも、具現化された愛が溢れかえる中でも誰かの存在に対する心の動きをまさに自分の中からわいたものだと保証してあげられること自体が愛じゃないかなと思ってます、そういう意味ではそもそも感情とは少し別枠に捉えてるかもで、愛を持つ(持っている自信のある)人は良い悪いとかより強いなとも思います"

 

こーれはすごい意見だぁ。かなりしっくりきちゃった。
例えば "愛ばっかり具現化される世の中" と、一つ目の意見の世界観を否定的に捉えたとしても、その世の中でもなお「愛」を主体的に享受/供与できること、そのものが愛という意見。それができる人は「強い」んだ、というのも素敵な価値観すぎる。

 

一方で、こういう意見もありました。

 

③ "難しいことはまじでわかんないけど、愛って本人じゃわかんない気がする。わたしは誰かのこと好きとか愛してるとか主観で思えたことなくて、その誰かに恋人が出来てはじめて好きだったんだって分かる。あと別れたあとめっちゃ後悔するとか。だから愛って感情とか主観とかじゃなくて関係性を測る尺度なんじゃない??から他の感情と同列じゃないのでは"

 

天才かと思った。②とは毛並みがけっこう違くて、愛に主体性は存在しないという意見。これはかなり共感できてしまう。外から定義づけられたり、俯瞰して見てみないとそれが「愛」であるかは分からないということよね。

でもじゃあ「愛」がなんだか分からない状態こそが「愛」とも言えると思いますけども…。こんがらがってきたね。

 

取り上げたい意見はこんな感じなんだけど、なんでこの三つを取り上げたかというとね、

【三つともあんまり「愛」を感情そのものだと捉えてはいない】

という大きな共通点があるのよね。

むしろ、いろんな細かい感情の享受の仕方に着目してる。

これってかなり大きな説じゃない?

愛とは方法であり過程でありやり方であって、目的でも結果でも無いんだよ。

 

そうだとすれば、

「愛がある」状態ではつまり人間のすべての感情が「愛」を経由することになるね。

 

いやぁ〜そりゃあさ、こんな世の中になっちゃうわ。

みんな(※みんなではありません)愛がすべてだと思ってるし、愛があればなんでもできるとか言われるし、愛し愛されることがいちばんの幸福みたいになってるし、ほとんどすべての芸術に愛が絡む。そりゃあそうなっちゃうかもね。

感情として過大評価されてるんじゃなくて、もともと「感情」っていう同じ土俵にいないのかもしれない。

 

とか、まぁごちゃごちゃ言ってんだけど、結論なんて出ないので、最後にフランスの文学者であるラ・ロシュフコー箴言のなかの一節を紹介して終わるね。

 

"愛は、人びとが愛ゆえにと称する無数の駆け引きにその名を貸すが、ヴェネチア総督がヴェネチア共和国で起きることについて与り知らないように、そういう駆け引きは愛の与り知らぬものなのである。"

 

…愛、かっけ〜。

勝てないわ。

 

 

飲むヨーグルト、雨、小さな落胆

大学2年からしばらくの間麻布十番にある小さなチーズ屋さんでアルバイトをしていた。

17時半にバスケの練習が終わり、ダッシュで門をくぐり、18時からのシフトに滑り込む。23時半までチーズを売ったり、イートインのマダムたちに簡単な食事を出したり、ワインを注いだり、洗い物をしたりしながら過ごして、レジを締めて24時過ぎに店をあとにする。

そのまま深夜を迎えてかなり臭いがキツくなってきた大江戸線に乗り込んで帰宅する日もあれば、麻布十番や六本木に住む友だちを呼びつけて飲み食いしたり、家に泊めてもらうこともあった。


就活でさ、飲食店のアルバイトで売上伸ばしましたとかたまに言う人いるけど、あれ全部嘘だと思ってるから。そんなこと、一介のアルバイターに考える余裕ないって。

そんなことより、ワインを注ぐときにお客さんのモンクレーに飛ばしちゃわないかとか、店長がチーズ切ってる間にいかに機敏にお会計済ますかとか、店内BGMをYouTubeで流してるから優雅なジャズの合間に楽天カードマン流れちゃったらどうしようとか、レジ締めの後本社に送るファックスの字をいかに綺麗に書けるかとか、店長とオーナーが今日は喧嘩しませんように(仲裁役がいつもわたし)とか、そういうちまちましたことばっかり考えるので精一杯だもん。売上伸ばしましたが仮に本当だとしても、そんなこと言ってる人たちはめちゃくちゃ仕事が出来るか、そういうちまちましたこと考えない図太い人か、どっちかだと思ってるし、大抵は後者だよ絶対。

 


ちまちましながらもだいぶ慣れてきたとき、多分秋ごろ、新しいバイトが入ってきた。

彼は確かわたしより4,5歳年上で、アパレルで働いていたけどやめて、次の職場までの繋ぎでここで働くということだった。

ここでは僕が後輩だから、色々教えてください。とか言ってはにかむ彼は少しだけ、ほんの少しだけ伊勢谷友介に似ていて、ツーブロがよく似合っていた。必ず黒と白と差し色、の3色で構成されていたコーディネートはかなりスタイリッシュで、靴にお金をかけていた。喉仏と手が大きくて、身長は小さかった。

つまり、

彼はすごくかっこよかったの。わたしはお店の全体LINEから彼を友達追加して、スニーカーがおしゃれで好きだという旨を伝えたら、ちょうど次のスニーカーを買いたいところだった、と彼は言って、一緒に選んでくれないか、という話になり、ラッキーなことにとんとん拍子で、2人でショッピングにいく約束を取り付けた。

約束は2週間後だったから、その日までも何回か同じシフトになることがあった。お店は小さいので、大抵は2人で働く。お客さんがひっきりなしに来ることもないので、2人だけで何時間も過ごすゆるいバイトだった。

わたしは別に恋愛対象としてではないけど、彼のそのスタイリッシュさにかなりの好意を持っていたからすごく嬉しかったし、彼もわたしの好意に気付きながら、悪い気はしていないようだった。

 


約束まで1週間を切ったある日、火曜日、曇りのち雨、閉店間際、1人のおっさんが来店した。彼は酔っていて、なんとなく悪い予感はしていたけどやっぱり、レジで接客する彼に難癖を付けた。俺の考えてることがぜんっぜん分かんねーのな!とか、メンヘラみたいな台詞を口にしながら何やらすごく怒っていて、一方難癖を付けられている彼は固まってしまっていて、言われたい放題だった。彼が働いていたアパレル、接客業とは言っても超高級ブランドだったから、そんな変なおっさんの対応とかしたことなかったんだと思う。

さてこのおっさん、実はこの数ヶ月前にも来店していて、新人でレジ打ちや包装が遅いわたしを散々いびった。ただ、変なおっさんあるあるだと思うんだけど、妙なところにスイッチがあるから、わたしがめげずにむしろ喧嘩腰で、新人なんですすみません!精一杯やってますお待ちください!!みたいなことを大声で言いまくってたら、君、強気だね、気に入った!みたいな、よく分からない認められ方をしていたのだった。

わたしは固まる彼を押しのけて、すみません〜!!ていうか今日雨で…寒いですね、ご足労マジでありがとうございます!!とか適当なことをまた大声で言ってたら、おっさんはわたしのことを思い出し、またなぜか上機嫌になって、飲むヨーグルトとブルーチーズをお買い上げになり、雨の中に消えた(ちなみに、わたしの新品のビニ傘が無くなりおっさんのヨレヨレの紺色の傘が残っていた。まじで許しません)。どちらも賞味期限ギリギリだったけど、大丈夫なのかな。と思った。こんなおっさんがお腹壊さないか心配するの、わたしってかなり優しいと思う。

雨だし、もうお客さんは来ないだろうということでそのあとすぐ、いつもより早めに店じまいをすることになった。


締め作業をしながら、

「恥ずかしいなぁ…僕、男なのに、君に助けてもらっちゃって」

と彼が呟いた。わたしは

「あの人前も来てたんでたまたまっス…!」

とかよく分からないことをほざき、彼はまた

「いや〜…ちょっと男として情けないところを見せちゃったなぁ」

と頭をポリポリしてた。

んーと、わたしはすごく嫌だった。さっきの局面で男とか女とか関係ないし、なんなら別に助けたわけでもなくて、店員として普通に対応しただけで、たまたまそのおっさんが得意分野だったから顔突っ込んだだけで、別に彼のことを情けないとか男としてダメだとかそんなこと1ミリも思わなかったのに。先回りでそういう言い草するのこそ、情けないと思っちゃうんだけど。ねぇ。今のそのセリフが、すごく情けないんだけど。

「ごめんね、せめて力仕事はやっておくから、君は本社へのファックスお願い!」

ううん、力仕事って言ったって、腰の高さしかない看板をお店の中に入れるのと、ゴミ出すのと、ビール瓶運ぶだけじゃん。わたしも出来るよそのくらい。


わたしは彼よりも年下だし、"女"だけど、対等に接したいのになぁと思ったら、彼に対する好意が急にスルスルとしぼんで、ツーブロックよりも剃り残したヒゲが、スタイリッシュさより昨日と同じズボンのことが、はにかむ謙虚さよりその照れ隠しのダサさが気になってしまった。

雨はすごく強まっていて、お店にある予備の傘に当たる雨音のせいで、帰り道、彼の声はほとんど聞こえなかった。


そして日曜日、わたしは明け方だけ、六度五分が高熱の世界線に住んだ。

彼はぜんぜん悪くなくて、考え方がちょっとダサいだけで、悪いのはおっさんとわたしでしかないけど、それでも彼の靴をウキウキで選ぶことはできないなと思ってしまったから。

 


結局そのあと彼はまたアパレルで働くことが決まって、すぐにお店を辞めた。

短い間でしたがありがとうございました、とひとことLINEを入れると、

こちらこそ〜。

とだけ返ってきた。

 

 

かっこわるいツーブロ君と、心の狭いわたしの話。

当たり前にそのLINEを最後に一切の連絡が途絶えた。インスタも消えた。

少しだけどこかがチクリとしたけどこれは反射のようなもので、絶対に感情の付随はなかった、多分。